論理的思考とAI社会への不安

日常の話

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AIを考える

昨日は実家に帰っていたので、ブログはお休み、他の技術ブログはそのまま更新です。

さて、皆さんは「賢者」と「非賢者」を分ける基準をどう考えますか?

私の中では、それはシンプルに「論理的思考ができるかどうか」なんです。

人との議論はとても大切です。

相手の話を理解し、頭の中で論理的に組み立てられる人は、理解力も高まり、人間として成長していきます。

逆にそれができない人は、自分の考えだけに頼りがちで、成長が止まってしまうのです。

社会で成功できるかどうかも、この思考力に大きく左右されます。

AIが奪う「考える力」

私は今、AIが人間社会に浸透していくことで、論理的思考ができない人が増えていくのではないかと危惧しています。

論理的に考えられない人は、人の話を聞けないことが多く、読書も苦手です。

耳で聞くか目で読むかの違いはあっても、頭の中で組み立てる力は同じ。

これができない人は、当然文章も論理的に書けません。

本来なら幼い頃に育まれる「聞いたことや読んだことを要約し、人に伝える力」。

これがある人はどんどん成長していきます。

私が「頭がいいな」と感じる人は、聞き上手で読書好きが多いのです。

そして彼らの文章は端的で分かりやすく書け、無駄がありません。

しかし今、この能力がAIに置き換わろうとしています。

AIが答えを出してくれる便利さの裏で、人間は「自ら考えない存在」になってしまう危険があるのです。

幼い大人が増える社会

すでに20代の若者が幼く感じられるのは私だけではないでしょう。

スマホや親に頼って育った世代は、自分をしっかり形成できず、流されやすい特徴があります。

社会の甘さが彼らをさらに弱くし、国力を落としていることに多くの人が気付いているはずです。

それでも社会の風潮はそれを指摘できない。

もし本気でメスを入れようとすれば、政治が動き出す。

そんな現状は異常だと思います。

AIは少しずつ人間から論理的思考を奪っているのかもしれません。

今回の件は私の信念である「少しの努力がやがて巨大な結果をもたらす」と似ています。

これは小さな積み重ねが未来を変えるということですから、少しずつAIに置き換わることはやがてAIに支配されるということです。

だからこそ、私たちは「考える力」を失わないように意識し続ける必要があります。

単純ことなのですが、便利さが故に使わないということはかなり大きなハードルと思いますよ。

以上

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