
情報は自分で取りに行く時代
毎日のように何気なく見ているニュース番組。
でも、ふと立ち止まって「これって本当に必要なのかな?」と考えたこと、ありますか?
おそらく、そんな疑問を持つ人は多くないでしょう。
今日は、私が最近感じた“ニュース番組”について書いてみます。
そもそも、なぜニュースを見るのか?
「世の中の動きを知るため」「天気予報を見るため」「経済の流れを知るため」「会話についていくため」
理由を挙げればいくつか出てきますが、正直なところ“なんとなく”見ている人がほとんどではないでしょうか。
でも、その“なんとなく”得ている情報って、本当に自分に必要なのか。
そこを深く考える人は意外と少ない気がします。
全局同じニュース
今のニュース番組を見ていると、どの局も同じ内容を報じています。
まるでニュースの“回し読み”。
大衆が飛びつきそうなネタばかりが横展開され、そこに“報道の使命感”のようなものは感じられないのです。
もちろん、中には素晴らしい人もいます。
ただ、最近の報道は不祥事があれば、根拠が曖昧なまま一斉に特定の人を叩く。
あれは本当に正義感から来ているのでしょうか。
むしろ、視聴者受けを考えて、流れのまま報道されているような気がします。
冷静に考えて、短時間で真実の全貌なんて分かるはずがないと思っているのです。
マスコミの人たちがスーパーマンでもない限り、単純な思考から追求した、単なるネタだと思います。
真実を作ってしまう時代
NHKの「プロジェクトX」などは、壮大な演出で視聴者を引き込みます。
演出次第で”悪人”も”善人”に見えてしまうほどの力があるんです。
以前「俺もこれで動画作ってもらったら歴史に残るよな」と感じたことがあります。
つまり、報道は本来の目的からズレつつあり、“大衆に受ける情報”が優先されているように感じるのです。
日本では昔から「新聞を読む人=知的」「ニュースを見る人=エリート」というイメージがありますが、実際は“必要のない情報を浴びているだけ”ということも多いのではないでしょうか。
少なくとも私は思います。
本当に自分に関係ある?
たとえば「熊が人を襲った」というニュース。
連日、全局で報道されていますが、あれはローカルニュースレベルです。
確かに東北への旅行客にとっては良い刺激になると思いますが、全国民が知る人はありません。
ただの噂話と大差ないのです。
特集番組も、結局は“暇つぶし”として消費されているだけ。
もちろん、すべての情報が有益である必要はありませんが、私が言いたいのは“知らないうちに洗脳されていないか?”ということです。
これが垂れ流されているニュースの問題なのです。
専門分野
専門的な話題でも、ニュースでは簡易的にまとめられます。
しかし、その内容が本当に正しいのかどうか、裏付けがあるわけではありません。
果たして記者が短時間で専門知識を理解し、正確に伝えられるのか。
専門分野とはそんなに簡単な世界なのか?
そこに疑問を持つ私は異常なのか、それとも天才なのか?
そう考えてしまいます。
垂れ流される情報を鵜呑みにすることこそ、日本人の思考力を弱め、国力低下の一因になっているように思えてなりません。
そう国民はいつしかペット化しているのです。
マイナンバー問題
マイナンバーのトラブルも、「ヒューマンエラー」「システムバグ」といった表面的な説明で片付けられています。
しかし、専門的に見れば“仕組みそのものに問題がある”ケースだと思います。
ただ、それを報道してしまっては国を敵に回すことになります。
誰もできないでしょう。
だから本質は伝わらず、どうでもいいニュースばかりが流れていく。
選挙報道
衆議院選挙が始まっていますが、これも同じ。
局の方針や記者の主観および感情が入り、完全に公平な報道にはなりません。
昔観たヘイデン・クリステンセンピーター・サースガードの映画「ニュースの天才」では、ジャーナリストの不祥事が描かれていました。
面白かったことを憶えています。
是非、観てみてください。
映画を観終わったあと「人間ならこういうこともあるよな」と妙に納得したのを覚えています。
そうなんです。
ニュースとは人の主観で報道されており、国民に有益な情報は流れてこない。
これなんです。
そういう垂れ流された、操作された情報を鵜呑みにしていることが怖く、人間を劣化されている最たる要因なのです。
自分で取りに行く時代へ
令和の今、欲しい情報は自分で取りに行く時代です。
人が劣化している原因は、“自分で理解した情報”ではなく、“目に入った情報をそのまま受け取ってしまう”ことだからです。
それが思考のバイアスを生み、判断力を鈍らせます。
だからこそ、何でも疑問に思うこと。
それが唯一、思考の劣化を防ぐ処方箋だと私は思っています。
以上


