自分の人生を生きているか?
この執着とは生きていく中で不要なのです。
恐らくほとんどの人がこの執着で生き辛くされている気がしますし、実際に私も執着があるが故に進めないこともあります。
全ての人の心の中に住み着いている悪霊とでも言いましょうか?
要は人からどう見られようが自分の人生には全く関係ないということに気付かなければなりません。
そこで今旬のAIであるジェミニさんに「執着」を聞いてみました。
執着とは、特定のもの、人、考えなどに強く心がとらわれ、そこから離れられない状態を指します。良い意味で使われることは少なく、一般的にはネガティブなニュアンスで用いられます。
具体的には、以下のような意味合いで使われることが多いです。
- 物質的なものへの執着: お金、財産、物などに対する強いこだわり。
- 人間関係への執着: 特定の人への強い依存心や、失うことへの極度の恐れ。
- 過去や未来への執着: 過去の栄光や失敗に囚われたり、まだ見ぬ未来への不安や期待にとらわれたりする状態。
- 考えや信念への執着: 自分の考えややり方に固執し、他者の意見を受け入れない頑なな態度。
- 結果への執着: プロセスよりも結果にばかりこだわり、目標達成のためなら手段を選ばないような状態。
執着は、私たちの心に苦しみや不自由さをもたらすと考えられています。手放すことで、より自由で豊かな心の状態になれるとされています。
なかなか良い回答だと思いますし、これは現代にあった回答だと思います。
執着のために「人から良く見られたい」という自分を装っている人が多いです。
何となく、最近の人に「人間の奥深さ」を感じられなくなったことも事実です。
恐らく現代社会病が原因で「自分を持っている」人が周囲に居なくなったのだと思います。
つまり、SNS社会が生み出した、周囲を見ながら生きてく人生が当たり前のようになったので自分を持てなくなったというのが正解でしょう。
ちなみにここで言っている「自分を持っている」ということは「自分の考えを持っている」ということです。
なぜ?自分を隠そうとする人がこんなに増えたのか?
それはどの人も執着に囚われながら、一生懸命背伸びして苦しみながら生きているからです。
そういう人生が当たり前なのかもしれませんが、私みたいに自由に生きている人間からすれば、そういう人と話すと何となく苦しさを感じます。
その内面にある「執着」というものを感じるんです。
もっと自由に生きれば良いと思いますが、「人からどう見られるのか?」ばかり気にしている人が多いです。
自分の人生を生きている人がどれだけいるか?
自分の考え方を持っている人がどれだけいるか?
この執着とはある意味人間をダメにしている怖いものだと思います。
全ては親の育て方にあるのでしょう。
以上