一周忌と初盆

日常の話
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私の中の法事

昨日18日(月)が父の一周忌法要でした。

この一周忌なのですが、今回は盆も近いのでお寺の住職に頼んで初盆も一緒にして頂きました。

最近ではこのように略式法要が増えているとのことですが、果たしてこういうことは良いことなのでしょうか?

私は多いに賛成です。

仏事は基本的なルールさえ守れば略式はむしろ良いと思っています。

なぜなら、これからを背負っていく後世の人間へ承継されていないからです。

これは大人たちの責任でもあります。

一番いけないのは「人がやっているから」とか「○○に言われたから」など、そのまま流されることを大人がやっていることです。

特に私と同世代(50代)の人間は流されている人があまりにも多いです。

つまり伝言ゲームと一緒です。

過去の法要を目でみたイメージだけで進め、一つ一つの意味を知らないことです。

「なぜ?これをするのか?」

ですね。

1つ1つの意味を理解せずにやっている人や、ネットを丸々信じて行動してしまう人が多すぎます。

それはあまりにも恥ずかしいことと思いますよ。

こういう仏事は親が子に、子が孫に承継しなければならないと思っていますが、それすらされていないのが現状です。

それはライフスタイル(生活環境)が変わったからです。

自分たちで生活環境を変えておきながら、末端の仏事はお前たちでやれ!と聞こえてきませんか?

承継ができないのであれば、後世のためにも略式に変えた方がよっぽど良いと思います。

意味も解らず猿真似だけで進めて行くことはむしろ先祖に対して失礼な行為と思いますので、それなら中途半端にせずに自分なりの略式の方が良いです。

少なくとも私はそう思います。

要は法要とは先祖(故人)の為に何ができるか?

それが重要なだけです。

その思いがあれば、必ず成仏できます。

私の考え方を言えば、時代にあった仏事をするのが本当の意味ので故人への法要ではないでしょうか?

即ちそれが令和の生き方だと思いますよ。

つまり令和とはいろいろなことが進化していく過渡期の時代で、コロナや戦争などの地政学的リスクが沢山出てきた年でもあります。

そんな中、仏事もそれに合わせて新しいものを作るのことが必要だと思っています。

例えば、夏の仏事なんかが良い例でしょうね。

一般的には夏だろうが、冬だろうが、礼服をきますが、この猛暑の夏にネクタイして、上着きますか?

それでエアコンガンガンかけて、正しいと思いますか?

ビジネス界でも地球環境やエネルギーの関係でノーネクターが許される時代になった今、なぜ?仏事だけが50年前と一切変わっていないのか?

それは変える人が居ないからです。

この仏事だけは皆が知らないベールに包まれていますし、何より「仏」の世界ですので変えられないということなのでしょう。

しかし、世界中で自動運転が研究され、エネルギー革命と言われる時代でもあるこの令和なのにその部分だけが聖域というのが何となく私はおかしいと感じています。

こんなこと人に話しても単なる「いちゃっている人?」と思われますので、取り敢えず、自分から実践していった訳ですが、略式が一番シンプルで良いです。

父は何と思っているか?分かりませんが、是非同世代の人には考えて欲しいところですね。

そうしないと後世が可哀そうと思いますよ!

以上

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