父の49日が終わって檀家を考えた

日常の話

先日、四十九日法要も終わり、ようやく一段落した感じです。

この法要事は仏教の日本で誰しも通る道だと思いますが、このような仏事はいろいろと考えさせられることが沢山あります。

特に私のような世間知らずの人間にとっては全てが新しいことばかりですから右往左往したことは事実なのです。

そこでいろいろと解ったこともあります。

檀家とは

私の父は某巨大霊園に墓を買っていてそこに納骨したので、その辺はスムーズに事が運びました。

流石、用意周到の父だなあ~と改めて尊敬しました。

ここで問題になってくるのが「お経」と「檀家」です。

お経はお坊さんにお願いするのですが、各宗派でお経は異なりますので、それ専用のお坊さんにお願いしなければなりません。

ですが、日本には檀家制度があり、従来であればその檀家のお坊さんにお経をお願いしするのが一般的です。

私の家は本家が遠方になりますので、そこからお坊さんにお願いするということができませんので、生前父が近所の同宗派のお寺を探していました。

そうなると、そのお寺の檀家に入らなければならないという流れになってくるのが地方出身の父を取り巻く親類縁者たちなのです。

ここで私は「檀家」という制度を良く考えたのです。

地方になると「檀家」や「門徒」ということが当たり前になります。

ですから、親戚や地方の人に聞けば「檀家に入らなければならない」という流れになってくるのが当然なのでしょう。

しかし、私の考え方はちょっと違います。

流石にこういうことをネットでググっても回答はでなかったので、自分なりの考えで半ば強引に進めたということもあります。

その考え方の辻褄が合えば、誰も反対はしないでしょう。

そうです、こういうことに正解などないからなのです。

故人を思いやる気持ちがあれば、私は良いのだと思います。

昔と今

では、その「檀家」というものが何か?を考えてください。

これはお寺に納骨されている方の制度であり、自分たちの先祖が眠るお寺をその家族が支えていきましょう!ということが檀家制度なのです。

そう考えると、私の父の納骨は某巨大霊園にしているので、私たちにはお寺を支えていくというミッションがありません。

むしろ、支えなければならないのは某巨大霊園なのでしょう。

そう考えると、檀家というものはなく、単にお経をあげてもらうお坊さんだけが必要ということになります。

この檀家制度というものは霊園ビジネスが国内で一般化された時点で衰退していくようになっていたのかもしれません。

ですから、霊園に納骨されているのであれば、お経は別途自分たちでお坊さんを探したり、霊園お抱えのお坊さんにお願いするなど、方法はいろいろあります。

檀家もお布施など、出費も多いので、ここも家計と良く相談して進めなければなりません。

良く意味も理解せずに進める方が故人にとってもいけないことだと思います。

一般的に先祖、代々続けてきた「檀家」を自分の代で脱退するということができないと思いますが、それが必要か?否かの決断をする時期は誰かが判断しなければならないのでしょう。

基本は人に流されず、自分を持って生きることが重要だと思いますよ。

タイトルとURLをコピーしました