
令和は自分で選ぶ時代
先日、「令和は特別な時代だ」と書きました。
あれは決して大げさな表現ではなく、実際に日々の生活の中で強く感じていることなんです。
というのも、あらゆるものが猛烈なスピードで合理化されていく。
飲食店に入っても、仕事をしていても、「あ、もうここまで来たのか」と思う瞬間が増えました。
そこに極端な円安、ユーロ高、そしてインフレ。
これまで経験したことのない環境が、容赦なく押し寄せてきています。
つまり、予測不能で、しかも変化の振れ幅が大きい。
そんな時代を、私たちは今まさに生きているわけです。
そしてもう一つ、あまり言いたくはないのですが――“人間の劣化”も同時に進んでいるように感じています。
今回は、その中でも特に驚いた「医師の劣化」について、少しだけ書いてみたいと思います。
日赤病院で感じた「医療の凄み」
昨年の暮れ、日赤病院に入院したときのこと。
男性看護師と話す中で、今の医療現場の最前線がどれほど進化しているのかを知り、心底驚きました。
担当医師と病気の話をしたときも同じです。
医師という職業の奥深さ、責任の重さ、そして専門性の高さを改めて感じました。
私は営業や事業の経験があるので、つい“少しずらした視点”で物事を見てしまう癖があります。
その私から見ても、日赤病院の姿勢は信頼に値するもので、「命を預けられる」と思える病院でした。
一方で、首をかしげる医師もいる
しかし、母が通う病院の医師となると話は別です。
正直、首をかしげる場面の方が多い。
今回の肺炎騒動も、その医師の判断が引き金になっていたことが後から分かりました。
さらに、知人や友人の医師と話していても、「医師という肩書に胡坐をかいているな」と感じることが増えています。
医師としての視点が、まるで違うんです。
もちろん、すべての医師に完璧さを求めるつもりはありません。そんなことは不可能だと分かっています。
だからこそ、令和は“病院(医師)を選ぶ時代”になったのだと思うのです。
医師の分岐点はどこにあるのか
私が感じる分岐点は、勤務医と開業医。
もちろん一括りにはできませんが、この境界線に医師の姿勢の違いが表れやすい気がします。
医師も結局は人間です。
有能な人もいれば、そうでない人もいる。学歴が高いから有能とは限らず、勉強が苦手だから無能というわけでもない。
結局のところ――医療にどう向き合っているか。
この一点に尽きるのだと思います。
常に疑問を持ち、好奇心を持ち、医療に向き合い続ける。
そういう医師こそ、安心して命を預けられる存在です。
ただ残念なことに、そういう医師ほど医療界の中で虐げられ、表に出にくいようにも感じます。
老人医療の現場で感じる危機感
特に老人病院の医師の劣化は深刻で、時に「これでは逆に命を縮めてしまうのでは」と思うことさえあります。
令和という特別な時代。
合理化が進む一方で、人間の質が問われる時代でもある。
医療の現場は、その象徴のように思えてなりません。
命を預けられるかかりつけ医とは自分で選ばなければならない時代と思いますね。
以上

