究極の健康法は「昔ながらの粗食」?

健康寿命

短期間の試みにより驚くべき体質改善に成功した事について妻の立場より記事を書きたいと思います。※あくまでも個人の勝手な持論です。

結果についてはこちらをご覧ください。

51歳から始めた身体のリペアで再生できた! | 大名武久のKARADAリペア (dynalabo.com)

まずは結論から

元々は「砂糖抜き」からスタートしたのですが、本質を突き詰めれば、究極の健康法は単純に「昔ながらの粗食に戻す」だけでよいのではないか?という結論に(勝手に)至りました。

具体的には戦前の日本人が食べていたような食事です。米や梅干しやみそ、醤油、地元の旬の野菜や魚。こういうものをシンプルに調理したものを食べるだけです。

カロリーや糖質、ビタミン、タンパク質、塩分など小難しい事は考えません。

この「昔ながらの食事」にするという事は必然的に「砂糖抜き」にもつながります。
母からよく「昔は砂糖は貴重品で甘い物なんてなかった」と聞いていました。

パンやお菓子、加工食品、様々な調味料とはさよならなので、最初はつらいかもしれませんが、大丈夫!慣れれば逆にそれらの物が不味く感じるようになります。

今回の挑戦とその結果

元々は「砂糖抜き」からスタートしたのですが、同時に裏テーマとして「昔ながらの粗食」も試してみました。簡単に言えばスーパーも冷蔵庫もなく、大量生産の食品がなかった頃をイメージした食事です。

実験前の生活

特に乱れた生活というわけでもなかったと思います。それでもγ-Gtpはずっと高値でした。
①外食はほとんどしない。
②お酒はほとんど飲まない(体質的に飲めない)
③一般的な食事内容。量は少ない方。(おかずは2~3品。夕食には何故か納豆を必ずプラス。みそ汁は飲まない)
④よく間食をする。甘い物は毎日食べる。

トライ期間中の食事

①ご飯中心で、プラスみそ汁と1品
②食材は地元の旬の魚や野菜、根菜類、海藻、放し飼いの卵、梅干しなど。
③肉はほとんど食べない。
④調味料は天然塩、無添加醤油、手作り味噌、昆布粉、カツオ粉
⑤嗜好品(パン、菓子、甘い物、果物、乳製品)はNG
⑥合成調味料や添加物排除。
⑦量、カロリー、栄養素は気にしない

約3か月続けた結果

γ-Gtpが48の標準値に。他の数値も全て正常値に。
「長寿の家系?」と聞かれたほど劇的に改善。

何故「昔ながらの粗食」なのか?

この食事法に至ったのは、医学的根拠からではなく実体験からです。

私の実家がまさに「ザ・昭和初期」のような食事だったのです。

家族は病気とは無縁で、血糖値やγ-GTP、コレステロール値は極めて低く、健康診断では「100歳まで生きるよ」と言われたものです。
父も母も風邪すらひきませんでした。私も若い頃ニキビや吹き出物も出来たことがなく、生理痛なども経験したことがありませんでした。

母が特別健康を気遣っていたかといえばその真逆。病気の人がまわりにいないので健康に興味がなく、カロリーとかカルシウムという言葉すら知らないのです(本当の話ですよ。)

子供の頃の食事の内容

ご飯と味噌汁+一品。サラダも食後のデザートもありません。いつも似たような地味メニューの繰り返しです。おやつもありませんでした。
母は料理好きではなく、知っている範囲のものしか作りません。高度成長期に便利な冷凍食品や調味料が出てきても興味なし。冷蔵庫に肉、牛乳、ヨーグルト類は入っていませんでした。

子供の頃の私は「今日のおかずは何かな?」と期待もしないし、選べないので好き嫌いもなし。出されたものを淡々と食べていました。

まとめ

一度にがらっと変えたので何が良かったのか?実は分かりません。(笑)案外元々の「砂糖抜き」だけで良かったのかもしれませんが、この生活が健康に良い事は確かだと思います。

【仮説】「食」をあまり意識せず、昔のようなシンプルな食事を淡々と続ければ自ずと健康でいられる(・・・のではないか?)

健康な生活のためにやめるべき習慣2つ

①「グルメ」をやめる
・グルメ情報を見るからあれこれ食べたくなります。
・美味しいから体が欲する以上に食べてしまい、病気につながります。
・目や舌が肥えると普段の食事をまずく感じます。
・グルメを知った子供は好き嫌いを覚えます。
つまりグルメは百害あって一利なしです。

②「健康」「ダイエット」について考える事をやめる
昔は食べ物が豊富でなかったし、情報もなかった。けれど成人病や癌、アレルギーは少なかったそうです。
健康情報を見るから極端な食事に走ってしまうのです。(糖質制限とか減塩、サプリなど)
人間も動物です。自然界ではあり得ない不自然な食事が体によいはずがないと思うのです。

「青魚数百匹分のDHAがこれ1粒でとれる!」「レモン10個分のビタミンCがこれ一つで!」そんな凝縮された成分は自然界にはありません。生身の人間の臓器が処理しきれるのでしょうか?

食べ物を成分単位で判断する風潮は如何なものでしょう?

「食事」の本質とは

最後に「食事」の本来の役割を考えてみたいと思います。言うまでもなく

生きるために必要な栄養をとるため

でしょう。ですが、いつのまにか「楽しみ」にすり替わっていないでしょうか?
「食べる」に関する時間やお金が必要上に増えすぎていないでしょうか?

タイトルとURLをコピーしました