
単なる依存から始まる話
世の中には「依存しやすい人」と「そうでもない人」がいますよね。
そして、この“依存する”という行為そのものが、今の社会ではなかなか厄介だなと感じています。
今日はそんな“依存”について、少し書いてみようと思います。
ナッツ依存の話から
このブログでも何度か触れてきましたが、私は以前“ナッツ依存”でした。
依存って怖いです。
ナッツって身体に良いと言われていますが、食べ過ぎれば当然害になります。
どんな食べ物でも同じで、結局は「ほどほど」が大事なんですよね。
やめる選択肢がないなら、“控える”という方向に舵を切るしかありません。
「完全に絶つ」というのは現代社会では難しいかもしれませんが、依存性の強いものほど、まずは“控える”ことから始めるのが良いと思っています。
私の場合、ナッツは昨年の入院をきっかけにスパッとやめました。
意外と苦労はしませんでした。
コーヒー依存もありました
もうひとつは“コーヒー依存”。
これは「控える」から入り、今は1日1杯と自分でルールを決めています。
以前、「コーヒーを毎日5杯飲む人は発がん性がどうのこうの」という記事を見たことがありますが、どこの国の研究かも書いていない曖昧な情報でした。
でも人間の身体は千差万別。
体質も違えば、生活習慣も違う。
そんな中で「コーヒーは身体に良い」と一括りにするのは無理があります。
でも、コーヒー好きの人にとっては、そういう記事はどうしてもポジティブに受け取ってしまうんですよね。
前提も根拠も曖昧なのに。
依存はやっぱり怖い
薬物依存
そして、もっと深刻なのが“薬物依存”です。
これは不法薬物ではなくここで言うのは”単なる薬”です。
私の母は狭心症をきっかけに、毎日たくさんの薬を飲んでいます。
西洋薬は症状を抑えてくれるので「治っている」と錯覚しがちですが、実際は症状が緩和されているだけで、治っているわけではありません。
それでも薬に依存してしまう。
そして、医師から出された薬を疑いもなく飲んでしまう。
これが薬依存、医者依存なんです。
でも、その医師は本当に薬に詳しいのか?
私はそこに疑問を持っています。
医師への依存もまたリスク
咳がひどい人に“咳止め”を出すのは一見正しいように見えますが、場合によっては逆効果になることもあります。
特に高齢者は咳を無理に止めると肺に負担がかかり、肺炎のリスクが高まります。
医者なら解ると思いますが、平気で薬を処方する。
最近の若い医師は、与えられた情報の中だけで簡単に薬を処方しているように見えることがあります。
先日、母の主治医(30代後半くらいの女性)との診断エピソードです。
「入眠薬が欲しい」という言葉に対して「どれくらい出しますか?言ってもらわないと分かりません」とその主治医が言っていました。
裏を返せば「欲しいだけ出します」とのことです。
まともな医師なら、入眠薬は依存性があるので数を制限するはずです。
でも、その医師は制限どころか、むしろ“自由にどうぞ”というスタンスでした。
これが現実なんだと痛感しました。
医師も結局は「普通の人」
私の知人の医師も、推し活で忙しかったり、患者より遊びを優先したりする人がいます。
客観的に私から診ると「遊び回っている医者」のイメージで、どこにでもいる若い女の子なんです。
医師だからといって、特別な存在ではなく、今の時代は普通の人間なんですよね。
だからこそ、医者に依存してはいけないと思うんです。
つまり、医者のブランドがあれば、不適合医師でも盲目的に信じちゃう人がいると思います。
かつて医師は“先生”というブランドを持っていました。
医学のプロフェッショナルとして尊敬されていたのです。
でも、ブランドだけ立派で中身が伴っていない人も沢山いるというのが現実です。特に老人病院では、向上心を持っている医師はそんなにいないと思います。
依存はどんな形であれ、気づかないうちに自分の選択肢を奪っていきます。
食べ物でも、飲み物でも、薬でも、人でも。
「自分で選ぶ」という感覚を失わないためにも、依存とは距離を置くことが大切だと感じています。
以上


