父が旅立って、もうすぐ一年。

日常の話

思考停止する分野

早いもので、父が亡くなってからそろそろ一年になります。

本当にあっという間ですね。もう一年?と自分でも驚いてしまいます。

以前ブログにも書きましたが、我が家はお寺の檀家(門徒)にはなっていません。

過去の記事はこちらにありますので、興味があればどうぞ。
https://blog.dynalabo.com/other/28065/

そんなわけで、今回の一周忌と初盆については、直接お寺に伺って住職にお願いしてきました。

やっぱり何事も「話し合って、納得して進める」ことが大事だと思うんですよね。

自分の考えを持って動けば、道は自然と開けていくものです。

一番いけないのは“思考停止”だと、つくづく感じます。

法要について、私なりの考え方

父が亡くなったのは7月18日。

お盆までは約1ヶ月あります。少し間が空くのですが、法要は参列する側も負担が大きいですし、行事が重なると家計にも響きます。

だからこそ、昔ながらの形をそのまま踏襲するのではなく、時代に合わせて柔軟に考えることが必要だと思っています。

今回の一周忌は、コロナ禍の影響もあり、家族と身内だけで静かに行うことにしました。

暑さも厳しい時期なので、軽装での参列をお願いするつもりです。もちろん礼服でも構いません。そこは個人の自由です。

大切なのは「一年という節目に、故人を思い出すこと」。形式に縛られる必要はありません。

ご仏前についても、事前に“1万円程度で”と話し合っておきました。悩まなくていいように、最初からラインを決めておく。

いわば“会費制の結婚式”のようなイメージですね。もちろん、多く包みたい方はそのままで構いません。

経験がないからこそ、思考が止まる

父が亡くなってから、葬儀や相続など、初めての経験が続きました。

その中で驚いたのは、周囲の多くが「何も考えていない」という現実です。

大正、昭和、平成と時代は変わってきたのに、仏事だけは地方に行くほど昔のまま。

むしろ葬祭会社のビジネスモデルに乗っかってしまっている印象すらあります。

なぜこんなに高額なのか?なぜ誰も疑問に思わないのか?

それは単に「知らないから」「考えたことがないから」。つまり“思考停止”なんですよね。

「今まで通りでいいよ」と言われるままにお金を出す。それが葬儀の高額化につながっているのだと思います。

令和の時代に合った法要とは

今は令和。

ITが進み、自動運転が現実になり、一般人が宇宙に行く時代です。

そんな中で、仏事だけが昔のままというのは、やっぱり違和感があります。もちろん、伝統として残すべき部分は残すべきです。

でも、変えるべきところは変えていく。そのバランスが大事なんですよね。

ネットで調べると、冠婚葬祭の情報が山ほど出てきますが、あれらは業界全体を高額化させるための仕組みでもあります。

「安い葬式」をうたうCMもありますが、結局は高額請求になるケースも多いようです。

私たちの世代は核家族化で、仏事の教育を受けていない人がほとんど。だからこそ、自分で考え、ビジネスに流されないことが大切だと思います。

最近は葬祭会社のCMやネット広告がやたら多いですが、それこそ「カモにされている証拠」なのかもしれません。

必要なところは残し、変えるべきところは変える。そして何より、思考停止しないこと。

父の一周忌を前に、そんなことを改めて感じています。

以上

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