ジーンズショップが教えてくれた部品専門店

働き方
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部品が物語るもの

私は大学を卒業して北九州の大手鉄鋼会社のシステム部門へ就職しました。

当時まだまだITバブルが続いていましたのでシステムエンジニアの人材不足は依然解消されない状態でした。

即ち、能力ない馬鹿でも大企業に入れるバブル社員だったのです。

しかし、5年くらい働くと自分の能力に限界を感じて、すぐさま福岡の大手電気メーカーの通信子会社へ転職し営業をすることにしました。

大企業のエリート社員生活としてはあまりにも短かったのように思いますが、所詮それだけの能力ですのでこのタイミングの転職は私にとって本当良かったと思ってます。

新しい転職先では主にIT機器を販売するメーカー営業ですが、システム会社に比べて年収は大きく落ち込んだことを良く覚えていますね。

福利厚生もそんなに良いとは言えなかったのでちょっとだけ不安でした。

元々、理学部の物理を専攻して就職した理系の会社ですから、退職した時は両親や周囲からはいろいろ言われました。

でも、自分にあった仕事なんて20代の若僧では絶対わかりませんし、自分の能力さえも解らないでしょうね。

ですから、この時期の転職は個人的にはバンバンした方が良いと思っています。

多分昭和生まれの人は「終身雇用」が頭にあるので「転職が癖になる?」ということを嫌います。

こんなもん昭和の都市伝説にしかないですから、古い言い伝えなど気にしない方が良いと思いますね。

自分の天職は何か?

その時期から自分に何の仕事が向いているか?自分の天職は何なのか?など将来のこと考えながら生きてきたような気がします。

そんな時、大学時代のバイトだったジーンズ専門店の販売員を思い出したのです。

そこでは最高の売上で特別ボーナスをもらったという経験もありました。

当時ジーパンを売るバイトが妙に楽しくてEDWIN、LEE、LEVICEなどなど、まずは品名憶えに休みの日も仕事をするなど、楽しかったですね。

何というか、客のニーズをいち早く理解して、それに対してジーパンのブランド、サイズなどを提案し、購入してもらうという仕事が楽しかったのです。

昔のジーンズって型番で本当微妙な大きさや形、そして質感が異なり、微妙に着心地が違うんですよね。

知ってます??(笑)

そういうノウハウをマスターして、迷った方へ提案するとジーパンって飛ぶように売れるんです。

人が人を呼び、どんどん売上が上がるから楽しかったです。

当たり前ですが、そこに買いにくる人は全てジーパンを買いたい人ばかりですから、自分のイメージと合えば皆即買いするんです。

営業(販売)の醍醐味ってこれですね。

高いものだったら1万~2万くらいでしたが、皆さんあまり考えて買うって方居なかったです。

その時、初めて楽しみながらする仕事の面白さを知ったのだと思います。

機器販売の営業も同じく客のニーズを分析して提案する営業ですから、一種のジーパン販売と似ているようなところがあり楽しかったことを憶えています。

同じ様に客は私の提案する機器を面白いように買ってくれたのですが、額がジーパンと大きく違ったのでバンバン売れるということはありませんでした。

ただ、業種によってはIT機器の価格もジーパンと同じような感覚で買うところもありますので客によっては出前のように売れたということもあります。

通販会社がそれでした。

確か社会人になって初めて仕事が面白いと感じた時期が1997年から2005年くらいだったと思います。

人生の転機

しかし、楽しい事って続かないんですよね

2006年頃を堺に会社の統廃合が続き、徐々に思うような仕事ができなり不満ばかりが溜まっていった時期があるのです。

ですから思い切って2007年にサラリーマン生活に終止符を打ったのです。

そして妻と一緒にホームページ制作会社を資本金300万で立ち上げました。

自分の「株式会社」を作りたかったということもありますね。

とにかくお金になることは何でもしたような気がします。

しかし、これも不運が付きまとい起業して直ぐにサブプライムショック、さらに追い打ちをかけるように翌年のリーマンショックと経済への大打撃があったのです。

世の中は不況のどん底でしたね。

あるはずの仕事が全くと言って良いほど入ってこなかったのです。

起業僅か1年で津波のように襲ってきた出来事でしたから、こりゃあ~不安でしたね。

ただ、助けてくれたのが「お金」でした。

やはり会社作る(自分の力で稼ぐ)のが夢でしたから起業資金を800万貯めていたのです。

信用が無い私達にとっては「お金」が唯一の信用力ですからね。

当然です。

それから大きなトラブルも無く10年くらいIT畑で生きてこられたのでいろいろと勉強させてもらいました。

新しいビジネス

50歳を過ぎた頃からいろいろ考えるようになりました。

知力、体力、モチベーションですね。

私の基本的なビジネススピリッツが人を雇わず、「契約」でビジネスを補完していくことなので、会社は大きくせず、持続させることを目標に考えていたのです。

恐らく、人を信用していないということと、自由に生きたかったのでしょうね(笑)

契約で外注やフリーランスの方に仕事をしてもらっていましたので、ITの仕事と販売の仕事のバランス調整が自由にできるというメリットもあったのです。

社員を雇うとそれができませんからね。

ですから市場経済に合わせ自由なビジネスができたのです。

きっかけは趣味から

最初に起業したIT会社はそこそこ収入もあり、楽しかったですが、テクノロジーの進化で将来性とかも徐々になくなり、売上も右肩下がりになりました。

一番は仕事に遣り甲斐を感じなくなったのがきっかけでしょうね。

そんな時、趣味で長い事やっているパソコン分解やブログ、YOUTUBE情報発信などをビジネスに活用できないか?と考えたのです。

「専門店」というところにフォーカスし、もう一度遣り甲斐を見付けたかったのです。

先ずは行動を起こすことが重要です。

実は自分にとっての部品探しが子供の頃の「プラモデル専門店」の部品探しの時のワクワク感に似ていることに気づいたからなのです(笑)

ワクワクする専門店

私は子供の頃からプラモデルが大好きで暇があれば近所のプラモデル専門店に行って一日過ごしていたような気がします。

大人になって忘れていましたが、このワクワク感はパソコンでも基本同じなのです。

もし、仮に自分と同じ気持ちを持っている人が居たらこういう専門店があると嬉しいと思います。

そして取り敢えず再生部品工房のECサイトを立ち上げてみました。

それが今のダイナショップ福岡なのです。

最初は中古PCを分解し、部品化して再生販売していましたが、徐々にリピーターが増え部品供給が間に合わなくなってきたのです。

ですからいろいろな手段を使って部品のサプライチェーンと接触しました。

中国が主な仕入れ元ですが、部品があるところに国境無しという感じでいろいろな仕入れ元開拓をしています。

現在はいろいろなリペアサイトを立ち上げ、それをブランディングすることで新しいセルフリペア事業という正式なビジネスモデルを作ったのです。

基本はビジネスを持続させることが重要ですので、今からいろいろチャレンジしていきます。

これは死ぬまでする生涯ビジネスとして育てていきたいですね。

以上

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