
身軽に生きる
私は時代によって生き方があると思っています。
なぜならば日頃から「べき論」を否定しているからです。
昭和の時代に育った私は人生とはこうあるべきだと教えられてきた気がするんです。
ただ、令和の今は、そういう凝り固まった価値観がほとんど意味を持たない気がしてきたんです。
考えてもみてください。
今は運転手なしでタクシーが走る時代、ヒューマノイド(AIロボット)が工場で作業する時代ですよ。
かつて「飛行機が空を飛ぶなんて信じられない」と言っている人が、今の時代が生き易いか?と言えばちょっと疑いたくなりますよね。
だから、令和の今は考え方に多様性が必要なんだと思います。
でも、社会生活を送っていく中で「べき論」がどうしても邪魔することがあるんです。
今日はちょっとそこ書きます。
家庭環境から育つ
そもそも「べき論」とは、“こうあるべきだ” と物事を決めつけてしまう考え方です。
これが自分を雁字搦めにし、他人にも寛容になれず、柔軟な発想を奪ってしまっているんです。
令和の多様性の中で生きづらさを感じる人は、恐らくこの「べき論」が強い傾向があると思いますし、私もそれを感じます。
私自身、否定しているつもりでも、ふとした瞬間にまだまだ残っていることに気づくんです。
時代のギャップ
今、いろいろメディアでも騒がれている「退職代行」「若手が育たない」「パワハラ」など、社会環境の変化で生まれる話題です。
これは時代の変化について行ける人、ついて行けない人のギャップが生み出すものであり、本来それが無ければ何もないのだと思います。
そもそも日本人は「べき論」者が多いと思うんです。
だから海外とのビジネスに失敗したり、中国などの貿易摩擦を生んでいると思います。
「一所懸命働けば、きっと楽できる」
これは昭和の考え方で、今は通用しません。
以前、その話題で書いたことありますが、我ながら、ポイント押さえていると思うんです(笑)

つまり、どうしても過去の体験が先行し、それをベースに考えてしまう。
これが日本人です。
凝り固まった価値観で生きると、過去の成功体験から離れられず、次第に「こうするべきだ」という考え方になり、令和で何が起こっているかを柔軟に考えられないのです。
自分の中の方程式
昨日、大手商社の担当者から「先月末の支払いがされていない」とメールが届きました。
請求システムが変わり、使いづらさもあって起こり得ることなのですが、そこは考慮されません。
その瞬間、私の脳裏に「信用」という言葉がよぎったんです。
私の中には 「支払いは遅れるべきではない」 「支払い遅延=信用失墜」 という“べき論”がベットリ脳に貼り付いているんです。
もちろんビジネスマナーとして遅延は避けるべきですが、 「信用失墜」というのは、実は自分の中の価値観でしかない。
当たり前のことが一度外れると、まるで何か重大なミスをしたように感じてしまうんです。
こういうこと、誰にでもありませんか?
でも、実は大したことが無いと思いませんか?。
「べき論」は恐怖の正体でもある
受験でも就職でも、 「こうあるべきだ」という思考が強いほど、そこから外れることに恐怖を感じているんです。
そしてその恐怖は、 「過去への後悔」と「将来への不安」 から生まれるものだと、今まで読んだ書籍でもいろいろな人が書いてありました。
その視点で自分を見てみると、確かに思い当たる節があるんですよね。
今回の支払いの件もまさにそれ。
私の中に残っていた「べき論」が反応しただけなんです。
他人の目を気にする心から育つ
突き詰めると、「べき論」とは “人からどう見られるか” という意識から育つ価値観。
その価値観が自分の世界をどんどん狭くし、多様性から外れていく。
つまり、令和という時代を生きる柔軟性を失ってしまうんです。
やがて自分を苦しめることになる。
捨てる=身軽
私の中に生き続けてきた「べき論」は、これから一つずつ捨てていこうと思っています。
そうすることで、人生が少し身軽になる気がするんですよね。
来年で59歳になりますが、 「捨てる=身軽」
これはきっと、これからの人生で重要なテーマになるはずです。
以上


