私の「幸せの沸点」がとても低いという話

日常の話

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幸せの沸点とは

会社の取引先には、個人クリニックや家内工業、個人事業など、いわゆる“個人経営”の方がたくさんいます。

その中には家族ぐるみでお付き合いするケースも多く、いろんな価値観に触れる機会が本当に多いんです。

そんな日々の中で強く感じることがあります。

それは人の価値観は育ってきた環境で大きく形づくられるということです。

今日はそんな感覚から、「幸せの沸点」と題して気になったことを少し書いてみます。

幸せの感じ方は、人それぞれ

「幸せ」と一言で言っても、その感じ方は、本当に千差万別ですよね。

表現で使った「沸点」

解る人は解るけど、解らない人は解らないので、簡単に言えば物質ごとに沸騰する温度が違い“沸点”があるんです。物質を人、そう考えれば「幸せの沸点」が理解できると思います。

たとえば、私の場合の幸せの沸点は「人の役に立てた瞬間(特に仕事)」

これなんです。

毎日、私の店には“藁にもすがる思い”で問い合わせてくる方がたくさんいます。

理由はさまざまですが、多くは自分で修理したい人たちです。

その人達の助けになった瞬間です。

皆さん共通することが「部品さえあれば…」という最後の砦で頼ってきます。

その部品を見つけて提供し、無事に修理できたときの喜びがメールで届くと

…あれこそが、私にとっての“幸せの沸点”なんだと思います。

最近は海外からの問合せが多く、本当に“藁にもすがる思い”で国際電話してくる方が増えました。

何とかしてあげたいといつも思っています。

沸点が高い人

一方で、裕福な環境で育ち、物に不自由したことがない人たちも周囲に沢山います。

そんな人と話すと「幸せの沸点」がとても高いと感じることがあるんです。

その多くが子どもの頃から何でも与えられ、周りが召使のように動いてくれる。

いわゆる“甘やかされて育った”タイプの人たちです。

私の場合はそういう環境ではなかったので、その方たちの価値観が全く分からないのですが、そういう人と話していると、本当に人間のズレを強く感じ、自分の基準では話せないのです。

結局、お金はあるんだろうけど、出てくるのは「愚痴」ばかり。

常に不満があり、ネガティブな視点で物事を見てしまう。

会話もどこか子どもと話しているような感覚で、自分の話だけをして、こちらの話はあまり聞いていない。

これが特徴ですね。

コミュニケーションが上手く取れないのです。

同調してあげると喜ぶけれど、まず前向きな意見は出てこないです。

本当に子どもがそのまま大人になった感じです。

私の沸点は、きっと低い

私は特別優秀でもなく、普通の人生でしたが、人を頼るのが異常なくらい嫌だったので、泥船で大海原を渡るような人生でした。

ここ数年はイレウス発症で「このまま死ぬんじゃないか」と思うほどの死の予感の経験もしました。

そんな人生を歩んできたからこそ、「普通に暮らせること」そのものが幸せなんです。

人生後半からはチャレンジしたかった「起業」もできましたし、自力で稼ぐ経験もできました。

プラモデル屋のお店をモデルに部品ショップも立ち上げ、海外在住の日本人を助けることもできました。

イレウス克服のため、毎朝5時に起き、毎日快便でお腹スッキリで仕事もできています。

これだけで十分幸せェ~。

と毎日思っています。

海外取引も翻訳ツールなどを駆使してチャレンジしていますが、大きな失敗もなく、ワールドワイドに人間の思考というものも学べたし、実際にそれで稼げています。

その根底にあるのが「自由」な環境で生きられるということです。

嫌なお客は断ってもいいし、合わない相手とは取引しなくていい。

自分で決めて、自分で動ける。

それだけで、私は幸せを感じています。

高級外車に乗りたいわけでもなく、高級マンションに住みたいわけでもないです。

豪華なクルーズ船で世界一周、海外でお買い物三昧、ゴルフ三昧の生活、人よりも上を行くステータスなどなど、一般的な「欲」が無く、苦痛が無い生活を毎日できれば楽しいのです。

たまに友人とお茶したり、事務所に来社した業者と仕事の話をしながらコーヒー飲んだり、ちょっとした暮らしの変化があれば充分です。

先ほど「人助け」が幸せの沸点と言いましたが、よく考えると「自由」こそが、私にとっての本当の沸点なのかもしれません。

楽しく働ける、暮らせる、何でもな日常で良いんです。

だからこそ、私の「幸せの沸点」はきっと、一般の方よりとても低いんだと思います。

今日はそんなことをちょっと書いてみました。

以上

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