
捨てる勇気
「執着」って、普段あまり使わない言葉ですよね。
でも最近、この言葉が思っている以上に自分の生活や思考に深く関わっていることに気付いたんです。
今日はそのことを少しだけ書いてみます。
ググると、執着とは 「人・モノ・コトに心が強くとらわれてしまい、そこから離れられなくなっている状態」 とあります。
これ、まさに今の“依存社会”と似ていませんか。
執着が強いほど、現代社会では生きづらさが増していく気がします。
だからミニマムに生きるとか、断捨離、ミニマリストという言葉が流行るのだと思います。
若林さんの本、佐々木さん(「ぼくたちに、もうモノは必要ない」)の本、同世代の人たちの本を読んでいても、必ずこの「執着」というテーマにぶつかるんですよね。
そして私がよく使う「べき論」にも通じるものがあります(笑)
執着があると、自分の行動を自分で縛ってしまう
「自分のやりたいようにやったら嫌われるんじゃないか」 そんな不安から、今の状態にしがみつき、行動を制限してしまう人が多いし、以前の私はそれがありました。
そう「人からどう見られるか?」
昭和生まれの人多いみたいです。
でも、そういう執着は早めに捨てたほうがいいと思うんです。
多少「変な人?」と思われても、そんな他人の評価なんて自分の生活には何の影響もありません。
特に私はサラリーマンでありませんから、それができるのです。
会社への執着
「じゃあサラリーマンはどうするの?」 と思うかもしれません。
確かに会社は組織なので、皆同じ顔をしていないといけない。
目立つ行動は命取りになります。
でもそれこそが 会社への執着 なんですよね。
その背景には、物への執着があります。
身の丈以上の生活をすれば、物に縛られ、結果として「楽な生活」から遠ざかる。
結局は会社に依存しないと生きていけないという環境を自らが作っていたのです。
転職でも起業でも、方法はいくらでもあるのに、執着が強い人は行動できない。
サラリーマンで自殺する人が多いと聞きますが、まさにそれで「会社から見放されたら生きていけない」これなんだと思います。
森友学園問題で自殺した方がいますが、まさにそれなんでしょう。
「今の生活を維持できない」「子供が不憫になる」「生活できない」 理由は色々ありますが、結局は会社への執着心です。
私自身も、執着をそぎ落としてきた
実は私も、「執着」は邪魔な存在だと思っていました。
しかし、本を読むにつれ、それが少しずつそぎ落とされていく感覚があったんです。
私は常々「人生を損得で考えない」と言ってきましたが、唯一損得で考えた方が良いのが、この執着かもしれません。
執着があると、人生「損」です。
だから捨てる努力をしています。
誰だって捨てられるものです。
「楽に生きる」
昔から私は「幸せになりたい」とは思っていません。
ただ「楽に生きたい」とは常に思っています。
生まれて苦行ばかり味わうなら、何のために生まれてきたのか分からないです。
せっかく生まれてきたのだから、人生のパートナーと一緒に楽に楽しみたいですね。
ただ、今までの私は「執着」に悩まされてきました。
会社に人生を依存する生活がどうしても考えられなかったので、マイクロ法人を作りました。
苦労はしましたが、その苦労のおかげで人生を違った視点で見られるようになったのは大きな収穫です。
会社=運命共同体
現代人は、会社と運命共同体のように思い込み、会社が全てになっている。
それが執着につながり、人を病ませる。
でも、当たり前のように持っている執着をそぎ落としていくと、意外と楽に生きられることに気付くんです。
先日、同年代の知人が「ラジオ人生相談を聴いている」と言っていました。
私は思わず「人の不幸聞いて何が面白いんですか?(笑)」と茶化したのですが、実はよく分かるんです。
人生相談を聴く人は、他人の不幸を娯楽にしているのではなく、 自分と同じように執着や“べき論”で苦しんでいる人の姿を通して、答え合わせをしている のだと思います。
変化し続ける現実に対して「変われない思考」で執着がべっとりしがみついていますので、そのエネルギーが心と体を消耗させます。
だからこそ、「執着」を手放すと楽に生きられる。
少なくとも私はそう思いますね。
以上。

