
努力は格好悪い?
先日、ふと昔のことを思い出しました。
甥っ子が「不良で頭が良い人のほうが格好良い」と言っていたんです。
どういう意味かと聞いてみると、「勉強してないのに試験ではいつも一番」みたいなことらしく、要は「努力してる姿がダサい」という価値観なんですね。
では、今回はその「努力への美学」についてちょっとだけ書きます。
それはつまり、真面目にコツコツ勉強して成績が良いのは“当然”であって、見た目は不良なのに中身は優秀というギャップに惹かれるようです。
これ、なんとなく分かる気もします。
でも、同時にちょっと怖いなとも思うんです。
ショートカットへの執着
最近の若者の多くが、地道な努力を避けて、いかに効率よく結果を出すかに執着しているように感じます。
「コスパ」「タイパ」といった言葉が流行っているのも、まさにその象徴でしょう。
20代、30代になっても、真面目に働くことよりも、いかに楽して成果を出すかに価値を置く。
そんな風潮が広がっているように思います。
もちろん、資本主義社会の中では効率を求めるのは自然なこと。
だからといって、努力を否定するような価値観には、私は違和感を覚えます。
私の仕事への美学
私は「努力の延長線上に結果がある」と信じています。
どんな業種でも、どんな仕事でも、この原則は変わらないと思っています。
無駄な努力なんて存在しない。
どんな努力も、必ず自分の糧になる。
この考え方は、マスメディアやSNSの影響で揺らいでいるのかもしれません。
特にYouTuberのように、一瞬で大金を手にするサクセスストーリーが一般化したことで、「お金で幸せを買える」と錯覚してしまう若者も多いでしょう。
でも、そんな幻想に振り回されて、地道に働くことを軽視するようになってしまったら…
それはとても危ういことだと思うのです。
若い人たちへ伝えたいこと
このブログを読んでくださっている方の中に若い人がいるかは分かりませんが、もし伝えられるなら、こう言いたい。
「努力こそが格好良い」と。
毎日少しずつ積み上げていくものは、やがて大きな力になり、誰にも奪えない不動の地位を築く。
それが本物の成功です。
一瞬で手にした栄光は、一瞬で消えてしまう。
そんなものは、いくらでも代わりがいるのです。
AIが進化しようが、時代が変わろうが、努力は自分の中に育つものなんです。
人間の基本的な機能は変わらず、努力はやがて「経験」となって、自分の中に宿っていき、誰も追い付かない領域まで入っていけるのです。
何をするにも、その経験が重要。
だからこそ、社会は若者に「努力の価値」を教えていかなければならないと思うのです。
努力せずして、結果は生まれない。
これが、私の美学なんです。
深いですが、それで生きてきましたので、これからもそれで生きていきます。
以上


