変わりゆく現代社会の子育て

日常の話

幼児化する世の中

昨日、ちょっと衝撃的なニュースを目にしました。

「小1の暴力が10年で10倍」

小1ですよ。

ランドセルがまだ体より大きく見える、あの可愛らしい小1。その子どもたちの暴力が“10倍”になっているという現実に、思わず記事を読み込んでしまいました。

(参考)
https://news.yahoo.co.jp/articles/32f5d3a1cc95c79860081b82109cc6461de9119f

点と点が線へ

以前、福岡市で「親子が一緒にいるのに、子ども同士で遊んでいる姿をほとんど見かけない」という内容のブログを書いたことがあります。

そのときは、「なんだか子どもが“親とだけ”行動しているな」「子ども同士で自然に戯れる光景が減ったな」という、あくまで私の感覚的な違和感でした。

でも今回のニュースを読んで、「あれは単なる気のせいじゃなかったのかもしれない」と、少し背筋が伸びる思いがしました。

“自立のプロセス”

脳が一番育つ時期に、子ども同士のコミュニケーションが十分に育たないと、“自立のプロセス”をすっ飛ばしてしまう。

その結果、幼児のまま身体だけ大きくなっていく。

私はそう感じています。

そしてその背景には、幼児期に家族とべったり過ごしすぎているという現象があるのではないかと。

もちろん、家庭の教育方針は外からは見えません。

しっかり育てている家庭もたくさんあるはずです。

ただ、街を歩いていて感じるのは、「子どもが親の“ペット”のように扱われている」そんな空気がどこかに漂っていること。

私だけの感覚かと思っていましたが、どうやらそうでもないようです。

自立の機会を奪われた子どもは、”親のために生きるようになり”

周囲と馴染めず・最終的には社会に出られなくなる

そんな未来が待っている可能性があります。

すでに「若者が働けない」という問題が起きていますが、もしこれが今後さらに加速したら…想像するだけでゾッとします。

可愛いければ“旅をさせろ”

昔から「可愛い子には旅をさせろ」と言います。

ところが最近は、この言葉を“旅行に連れていくこと”だと勘違いする親もいるようで、それはそれで驚きです。

本来の意味は、子どもを自立させるために、あえて経験させることですよね。

可愛いからこそ、手を離す。

可愛いからこそ、経験させる。

その逆をしてしまうと、苦しむのは子ども自身です。

教師が教え子にわいせつ行為をするようなニュースも珍しくなくなりました。

時代が変わったと言えばそれまでですが、こうした社会の歪みは、資本主義の流れの中で生まれた必然なのかもしれません。

今回の小1のニュースを読んで、私が街で感じていた違和感と線がつながった気がしたことはちょっと驚きでもあったのでした。

こういう内容を書くと賛否分かれますが、最近は本当に自分さえ良ければという人が増えた気がしますね。

以上

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