
時代の流れ
最近、ふと感じることがあります。
どうも世の中が「お金」や「モノ」を中心に回っているように見えるんですよね。
もちろん資本主義の仕組み上、それは当たり前のことなのですが、気づけば私たちの生活そのものが“お金を軸にした思考”に染まってしまっている。
そんな感覚を覚えることがあります。
ある意味、ギャンブル脳に近いのかもしれません。
そんな中で最近読み始めた本『ぼくたちに、もうモノは必要ない』に、深く共感する部分がありました。
今日はその気づきを少し書いてみたいと思います。
情報に操られる時代
なぜここまで「モノ中心」の社会になったのか。
その根源は“情報”にあると感じています。
人間は弱い生き物で、思考を刺激されると簡単に操作されてしまう。
昭和のテレビCMから始まり、広告、SNS…
あらゆるものがイメージ化され、仮想空間の中で「欲しい」と思わされる仕組みが作られてきました。
いわゆる「隣の芝生は青い」状態です。
そこには、自分自身のアイデンティティの欠如があるのかもしれません。
自分が何者なのか分からないからこそ、企業の戦略に流されてしまう。
そして、みんなが同じような人生を歩み、リスクを避ける生き方を選んでしまうでしょう。
もちろん、それも理解できます。
物が溢れた環境で育った世代にとって、幸せの基準が“モノ”になるのはある意味自然なことです。
モノを減らすと、思考が動き出す
最近読んでいる本で「ぼくたちにもうモノはいらない」があります。
これ、意外と面白いんです。
本を読みながら、常に自分を振り返っています。
実は最近、事務所やデスク周りを整理したんです。
いつもしようと思っているのですが、なかなか実行に移せず、要約重い腰を上げたということでしょう。
すると驚くほど気分がスッキリして、モチベーションまで上がったんですよね。
たまたまそのあとにこの本を読んだんです。
脳科学の分野でも、モノが多いと思考が停止しやすいと言われています。
逆に、環境を整えるだけで発想が湧きやすくなる。
まさにその通りだと実感しました。
今取り組んでいる部品事業も、突き詰めれば「最小限のもので修理し、長く使う」という考え方につながります。
ちょっと強引ですが、これもある意味“モノを増やさない生き方”にも通じる部分がありますから、シンプルな生き方として路線は外れていません。
「モノを持たない」リスク
昭和のモノが溢れた時代を生きてきた私にとって、「モノを持たない」という選択肢は、ある意味リスクでもあります。
なぜか?
標準から外れるからです。
でも、良く考えてみてください。
今の自分の周りにある物って必ず必要ですか?みんなが持っている物を自分が持つ必要がありますか?
実は無いんです。
最近は“自分だけのオリジナルな人生”を生きているということが生き甲斐にもなっています。
そう思うと、このスタイルが格好良くおもっちゃうんです(笑)
20代くらいまでは「標準の人生」が当たり前と思っていたんです。
大企業に就職して、家庭を持って・・・
しかし、あることがきっかけで、それ以降は自分に正直に生きてきたと思います。
そう好き勝手に。
親は私に「標準の人生が幸せ」と言い聞かせようとしていましたが、そんな忠告など無視し、自分の考え方で自分の人生を生きてきました。
だから、不思議と「あれやっておけば良かった」「もっとこうだったら違う結果だったかも」など、今騒がれている「ミッドライフクライシス」など別次元の話なんです。
唯一「後悔」があるとしたら19歳の時の「開腹手術」でしょう。
あれをしなければ違う人生だったかも・・・
と思った瞬間がありましたが、それをしなかったことでの別の人生もあり、そこには後悔もあったかもしれません。
だからこれが本来の自分の人生なのだと思っています。
人から何と思われようとも自分の人生を生きる。
こういう価値観を持つ人は私は大好きです。
以上

