
倫理上の問題
以前も少し触れましたが、今日はまたヴァル・キルマーの話題です。
GQ JAPAN に掲載されていた、生成AIによってヴァル・キルマーが“蘇った”という記事を読みました。
読んだ瞬間、これはどうしても自分の考えを書き残しておきたいと思いました。
AIで故人を蘇らせることの是非
この技術、もちろん賛否ありますよね。
ただ、私が一番ひっかかるのは「本人の意思がどこにも存在しない」という点です。
配偶者がOKしたから、娘が許可したからといって、“本人が望んでいないかもしれない姿”を勝手に作り出してしまう。
これはどう考えても倫理的にグレーどころか、かなり黒に近いと思っています。
資本主義の世界ではこうしたハードルを越えてしまうのも理解できます。
家族には謝礼が支払われるでしょうし、もしかしたら天国のヴァル・キルマー本人も「家族のためなら」と思うかもしれない。
でも、その答えは永遠に分からないんですよね。
だからこそ、答えのないものにはそっと触れないという姿勢が本来あるべきだと感じます。
「新しく作る」は別物
過去の映画や写真など、本人が生前に残した作品を使うのは当然問題ありません。
著作権に従って扱えばいいし、それが家族の助けになるなら、天国のヴァル・キルマーもきっと嬉しいはずです。
ただし問題は本人の意思とは違う“新しい作品”を他人の意思で作ること。
これ、本当に許されるのか?ここが一番の論点だと思います。
極端な例になるかもしれませんが、もし俳優や女優が、生成AIによって勝手にポルノ作品に出演させられたらどうでしょう。
「一般映画なら良くて、ポルノはダメ」そんな線引きは、実は誰も明確にできません。
ジャンルが違うだけで、“本人の意思を無視して作られる”という構造はまったく同じなんです。
結局のところ、作る側の都合でしかない。
そこに本人の意思は存在しないのです。
デジタル蘇生は「供養」にはならない
夫婦間であれ、家族であれ、本人の意思を確認できないまま勝手に蘇生させるのは、私はどうしても良いとは思えません。
故人は、個人としてそっと眠らせてあげる。
それが本当の供養ではないでしょうか。
それ以上は書けないのでここで終わりですが、あるハードル超えると人間は暴走するんです。
これから先がその世界でしょうね。
以上


