ネットメディアから学ぶ問題

日常の話

格差社会が進む日本

ブログが自分の心の現れだとすれば、ドラマは世の中をある視点から切り取った鏡のようなものなのかもしれません。

私自身そうですが、ブログを書いていると、その時の気分がそのまま文章に滲み出ます。

怒ったり、自論を展開したり、決めつけてしまったり。

読み手によっては「この人、何か悩んでいるのかな」と感じ取れるほど、言葉には心が宿るものです。

最近いろんなブログやYOUTUBEを見ているとそういう感じを受けます。

売りたいものがある人は、どんな話題からでも商品に結びつけていくし、自分の主張を伝えたい人は、巧みに話題を引っかけて自論へと導いていく。

ブログには、純粋に書きたいことを書く人と、明確な目的を持って書く人がいます。

どちらが良い悪いではなく、そういう場合、私にとってはどちらでもメリットがあります。

私は書く方が専門なのですができるだけ純粋な気持ちで書き、怒りがある時はできるだけ書かないようにしています。

怒りなどは読む側にとって不快の何者でもなく、そんな時書いてもメリットなど無いからです。

メリットとは世の中で何が動いているのか、何が流行っているのか、どんな価値観の人がいるのか。それを伝えるものであり、個人の感情など知りたくないからです。

これは妻も同じことを言っていました。

似たもの夫婦です。

ブログは自分の知らない世界を知るきっかけのものだけ。

ブログを読む、ブログを書くという行為は、そうした人間模様を学ぶ上で本当に勉強になるのだと思います。

韓国ドラマ「白雪姫には死を」を観て感じたこと

さて、これも感じることは同じですが、先日、韓国ドラマ「白雪姫には死を」の第一話を観ました。

久しぶりに“魅入ってしまう”内容でした。

冤罪を思わせるストーリーで、人生はほんの一瞬の出来事で崩れてしまう——

そんなテーマが描かれていて、気づけば第2話、第3話とNetflixで続けて観てしまいました。

4話、5話と進むにつれ、何となく時代背景を感じるドラマなんです。

韓国だけでなく、日本にも通じる”モラル”や“格差”の問題と同じじゃないですかね。

閉鎖的コミュニティ(村社会)の同調圧力と隠蔽体質物語や 特権階級(エリート)による権力の濫用と歪んだエゴ、村社会的風潮は企業にありますし、パワハラ、セクハラなどもその時代背景の何者でも無いです。

だから、こんな変な世の中になっているということも納得できます。

こういうドラマは視点を少し変えて観ると、そういう国民が直面している「リアルな問題」などを良く理解できます。

まだ7話までですが、閉鎖的な集落ドラマも捨てがたいです。

それは日本社会にも確かに存在するものだと感じました。

特に、今の企業は多いにその体質が感じられます。

見えない「配慮」が生む歪み

数ある映画やドラマの中ではお勧めです。(最初の7話まではね)

この主人公を見ても解るのですが、いろいろなところで、配慮に欠けていると感じました。

良い奴なんですが、「育ち」や「親の価値観」などが影響しているのだと思います。

もちろん、私自身もそれに入っている人なのかもしれません。

このドラマを観ていると、主人公のそうした“思いやりの欠如”が随所に感じるシーンがあるんです。

それが最終的には、友人間の歪みとなり、知らないうちに敵を作ってしまう。

私が思うに人間社会では、目に見えない配慮が必要で、自分のことだけを考えていると、気づかないところで心の摩擦が生まれるのだと思います。

それはサラリーマン社会で生きてきて大いに学んだことです。

自分を大切にすることはもちろん大事ですが、それ以上に社会に限っては相手を思いやる「利他の気持ち」がそれをなめらかにしてくれるのだと感じました。

ドラマが映す社会の影

まだ途中でどう展開するか解らないのですが、韓国社会が抱える問題、そして日本にもある格差が生む“見えない摩擦”。

このドラマは、それを丁寧に描いているように思います。

全16話ですから、後半戦、空いた時間に見たいですね。

以上

 

 

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