残りの人生
死ぬ目に逢うと人間変わります!
そういう類の言葉が沢山ありますよね。
私は2018年にイレウスを発症して以来、「生」と「死」の尊さを考えるようになりました。
それから何となく人生が変わった気がします。
しかし、そうは言うものの、煩悩があるので、平穏な日々が過ごせないんです。
ここが不思議なことなのですが、昔から正義感?なのかその類が強く、人のことを考えてしまう性格なのです。
絶対損な人生なのです。
例えば、テレビを見ていても、YOUTUBEを見ていても腹立たしいこともあれば、感情に左右されることもあります。
見なければ良いのですが、ついつい見てしまうということからしてだめなのでしょう。
ここで「執着」という言葉を使ったのは自分の中に「執着」があり、捨てられない何かがあると気付いたんです。
つまり、これが損な人生にリンクしていて、一般的に言えば「べきだ論」の一種です。
「~こうあるべきだ」という考え方が時として動けなくしてしまうのです。
これが人生のいろいろなシーンで邪魔をしていますから「損」をしているのだと思います。
人生を損得で考えてはいけないのですが、損していると感じるのは「自我」が育っていないことだと思います。
唯一その処方箋が「自分を知る」ことだと思っています。
そうすることでやがて「運命」というものに気付くのだと思いますね。
つまり産まれ持って生きていく路線のようなものです。
それに気づくと、何て馬鹿らしいことに悩んでいたんだろうと気付くと思います。
先ずはもっと「自分を知る」ことで「執着」を捨てられるのだと思います。
残りの人生を「損」しないためにも「執着」を捨てることが必須ですね。
以上