
テキスト文字を読んで理解することが重要
昨日、妻と買いものに出かけたついでに、私は書店へ立ち寄りました。
「ちょっと立ち読みでもするか」と棚を眺めていたら、ふと目に飛び込んできたのが齋藤孝さんの『頭のよさは国語力で決まる』という本。
タイトルに惹かれてあらすじを読んでみると、これがなかなか興味深い。
そのまま最初から読み始めてしまい、気づけば妻が「そろそろ行くよ」と呼びに来るほど没頭していました。
結局、続きが気になって購入しちゃんたんです。
本をあまり読まない私にしては、久しぶりの“衝動買い”です。
今日はその本を3分の2読みましたので、そのネタで書きます。
「頭が良い人」と「そうでない人」
実は以前からずっと気になっていたことがあります。
「この人、頭が良いなあ」と思う人と、そうでない人の違いは何なのか?
大学4年の頃から抱いていた疑問です。
一般的には「遺伝」だとか「生まれつき」だとか、そういう「オタマジャクシはカエルの子」的な話に落ち着きがちですが、私はどうもそうは思えなかったんです。
人は、生まれてからどんな環境で、どんな経験を積んできたかで大きく変わると思います。
確かに多少はDNAというものが影響しますが、そのまんま引き継がれるということはありません。
それは人間だからです。
環境がもたらす影響は計り知れないと思いますよ。
そして、この本を読んで「やっぱりそうだったのか」と腑に落ちた瞬間がいくつもありました。
国語力は“知性のOS”
斎藤さんはこう主張しています。
国語力こそが、あらゆる知的活動・コミュニケーション・情緒の基盤である。
つまり、単なる試験科目としての国語ではなく、「正しく理解し、的確に表現し、深く考えるためのOS」それが国語力だというわけです。
ここまで読んだ段階で、私は「なるほど」と何度も頷いていました。
読書量
私の妻は本当に理解力が高い。
話していても、説明しても、反応が早い。
だから、いろいろなことが直ぐに理解し、私が時間をかけて理解できたこともで1日で理解できる。
その違いは何かと考えると、答えはシンプルで――とにかく本を読むんです。
読むスピードも速いし、内容を要約して私に説明してくれるのですが、これがまた分かりやすい。
大量の情報を短時間で整理し、要点をつかむ力は、やはり読書量の賜物だと感じます。
本書でも「年間100冊読む人は国語力が高い」と書かれていましたが、まさにその通りだと思います。
頭の違い
社会にでるといわゆる“頭が良い(高学歴)”とされる人と話していても、「賢さ」という意味では反応が鈍いと感じることがありました。
一方、高卒の人でも「この人、本当に頭が良いなあ」と思う人がたくさんいたのです。
そういう人は文章も上手で、読みやすい。
ですから会議の進行する時も進め方が上手なので、様々な意見を組み立て、咀嚼する力が高いのです。
逆に、受験勉強だけしてコツコツ努力して高学歴をつかみ取った人たちほど、そういう賢さが備わっていないどころか、理解力に乏しいのです。
ますます差が開く時代へ?
国語力――つまり言語を扱う力は、情報処理能力そのものと言ってもいいです。
だからこそ、読書量がそのまま“頭の良さ”に直結する。
この本を読んで、その構造がよく理解できました。
後半を読むのが楽しみですが、きっと私が思っている方向に話が進むのだろうと感じています。
前回のブログでも書きましたが、幼少期からスマホやSNSに慣れ親しんでいるのもその能力が欠如する原因です。
ここでも言いますが、何一つ良いことはありません。
むしろ、有害です。
資本主義で暴走した大企業たちの餌食になっているということを親が認識しなければならないでしょう
ただ、その親自体がこの本で言われている「国語力」が欠落している人が多く、賢さが無いため、難しいのかもしれません。
つまり物事を文字で受け入れ咀嚼する力は幼少期から養わなければならないことが良く理解できると思います。
以上


