
その何となくに気付くことが重要
最近、なぜか四国の話題に触れることが多いんです。
先日は四国八十八か所を巡った方の体験談を聞き、別の日には室戸岬に行った友人のお土産話を聞きました。
実は私自身も、学生時代の4年間を四国・高知県で過ごしました。
今日はそんな四国ネタから、少し自分の原点を振り返ってみようと思います。
あの曲
今から35年前。
大学生だった頃、友人の部屋でよく流れていたのがドッケンの曲でした。
当時はロックやヘビメタにハマっていた時期で、ボン・ジョヴィなんかも流行っていましたね。
あの頃の私は、とにかく“ノリの良い音”が好きだったんです。
当時を振り返れば、エネルギーありましたね。
さて、そんな高知の大学に入った私なんですが、実は高校から私ひとりだけしか入学しなかったんです。
もちろん高知に行ったこともなく、イメージといえば「トラック野郎」に出てくる“土佐”くらいです。
そんな未知の土地に、たったひとりで飛び込んでいった当時は本当に大変でした。
不安と期待が入り混じった、あの独特の胸のざわつき。
今でも鮮明に覚えています。
そんな未知の土地だからこそ楽しい思い出ばかりなのかもしれません。
物理に興味がなかった話。
ただ、そうは言うものの、楽しい思い出ばかりではないのです。
私は物理学科に入学したものの、致命的なことに“物理そのもの”に興味がありませんでした。
普通は興味があるから専攻しますよね。
車が好きなら車の勉強をするし、語学が好きなら語学を学ぶ。
でも私は違ったんです。
高校の物理の試験問題が好きだっただけで、アインシュタインにも興味がないし、物質にも興味がなかったのです。
もちろん、超電導の研究にも興味がない。
ただ「なんとなく入れそうだったから入った」だけ。
ですから、当然、卒業は地獄でした。
その「なんとなく」が不要
振り返ると、私は“なんとなく”で選んだことが多かった気がします。
そして“なんとなく”で生きていると、すべてが後手に回り、いつしかそれが苦行に変わっていく。
就職もそうでした。
なんとなくシステムエンジニアになったものの、システムに興味がなく5年で断念。
「自分に向く仕事とは何か」
若い頃はずっとそれを探していた気がします。
その裏には、どうしても「安定志向」がありました。
好きなことより、まずは安定。
でも今思えば、この“安定”って本当に必要だったのかと感じます。
不安定だからこそ、自分に向き合える
結局、今の私は“不安定”から生まれた起業人生なんです。
38歳のとき、東芝の子会社の経営難によるリストラをきっかけに起業しました。
安定を目指しての企業の冠でしたが、儚いものです。
ですからあの時こそ、本気で自分と向き合った瞬間でした。
もしあの時「安定」にしがみついていたら、会社の言いなりの社畜に陥り、会社を頼っていく人生だったので、今の私はいなかったと思います。
今なんでこのようにのびのびと仕事ができているか?
何かに依存せず、自由だからです。
人からどう思われるかなんて、正直どうでもいいです。
普通に生きられることが、実は一番の幸せなのかもしれません。大病を経験した人なら、少し分かるかもしれませんね(笑)
安定を求めすぎると、何も生まれない
結局のところ、安定ばかり気にしていると何も生まれないと思います。
そもそも人生は不安定だからこそ動き出すものじゃないかな~??と思うんですよね。
周囲で皆同じような人生送っている人を見るといつもそう思っちゃうんです。
特異な人生の人と出会うと興味ありますね。
また改めて、その類のネタはじっくり書いてみたいテーマですが、「何となく公務員になりました」とか、「何となく大企業に入りました」とか、その「なんとなく」。
人生に正解は無いのですが、そういう人ってきっと50代くらいになるとどこかで振り返るタイミングがあると思いますよ。
だって50代って人生のゴールが微かに見えてきますからね(笑)
そこがきっと人生の転機なのだと思います。
私の場合は自慢じゃないですが、人生を振り返る(後悔)ことが無いです。
もちろん、親の配下に居た時はありますよ。
ああやっていけば良かった。こうしておけば良かったとかね。
ただ、一人歩きして、親元から離れてからは全て自分で決めてきたし、今でも自分しか信じていませんでした。
親だろうが、誰だろうが、「俺に指図すんな!俺の人生や」という感じで突っぱねてきましたね。
もちろん、そんなことも後悔していません。
良き息子を演じる気はないですよ。
結局は自分の人生なので、死ぬとき「あ~良かった!」って言って孤独死でも何でも良いと思っています。
それが私の言う人生論ですかね。
以上

