ネット社会について思うこと

日常の話

最近のニュース

最近、ちょっとニュースを聞いても耳を疑うような事件が多いですよね。

グーグルでも良く見るニュースの関連が目に飛び込んできます。

無視しているつもりでも、脳は勝手にその文字から興味を掘り起こしてしまい、気づけばクリックしている。

本当に、よくできたネットの仕組みだと思いますね。

ネットメディアは完全に人の興味を操作しようとしていて、どれだけ意識していても、その衝動にはなかなか勝てません。

そう考えると、これからの時代は「そういうSNSとの距離をどう取るか」で人生が大きく変わっていく気がします。

特に若年層はこれを”する”か”しない”かで人生変わってくると思いますね。

今日は、そんな社会が作り出す“人間”について、少し考えてみたいと思います。

事件と人格攻撃の構造

先日、北海道旭川の事件の判決が出たとネットが騒いでいました。

旭川と言えばいろいろ凶悪ニュース多いですが、今裁判で争われているニュースです。

YouTubeでも多くの人がその件について語り、関連動画には過去のストーカー殺人事件なども並んでいました。

どれも“人格攻撃”が中心。

この類の事件は”執拗に追い回す”

その果てに”殺人”という結末になるのだと思います。

福岡でもストーカー殺人事件が大きく取り上げられたので、当時の空気を思い出しました。

こういうニュースを見るたびに思うんです。

犯人の人格って、確かに凶悪だし、歪んでいると思いますが、これって本人が好きでそうなったわけじゃない。

つまり人格形成は子どもの頃に大きく左右されます。

その時に関わった大人、友人、環境…そして何より「親」の影響は計り知れません。

もちろん、「いじめ」なんかは最たるもので、全くの不可抗力でもあります。

ところが、マスコミが親に取材に行くと、そういう親に限って“他人事”のような態度でインタビューに答えているんです。

それを見ると、事件を起こした本人よりも、むしろ親に対して怒りが湧いてくることがあります。

“執拗に追い回す人”

では、ストーカーという言葉はいつの時代からでてきたのでしょうか?

1988年の「危険な情事」の映画からではないでしょうか?

あの映画を観た時は衝撃的でした。

それから1997年第一回放送された「ストーカー~逃げ切れぬ愛」というドラマもそうです。

高岡早紀、渡部篤郎のストーカードラマで、異常な一方的な愛がストーリーでした。

そう考えると、異常な関係が生み出す突然の“殺意”。

これは男女間、友人間、親子間で多く、考えられないような衝動だと思います。

怖いですよね。

もう、子供が親を殺したり、親が子供を殺す時代なんです。

どんな時代やねん。

と思います。

でも裏を返せば、今の社会にはそういう“予備軍”がたくさんいるということにもなります。

事件を起こすのは氷山の一角なのかもしれません。

自分を制御できない人たちや突然人格が変わる人。

生成AIに「執拗に人を追い回す人の幼少期はどんな家庭ですか?」と聞くと、“適切な愛着形成ができなかった機能不全家庭で育つケースが多い”と回答しています。

正解かどうかは別として、私はズレてはいないと思います。

要するに、愛情を持って育てられなかった子供たちです。

過干渉で、ペットのように扱われて育った子どもたちだと思います。

では、今回の旭川事件である内田梨瑚(りこ)被告(23)の幼少期や実家の家庭環境についてはどうだったか?

裁判での証言や知人の証言などから、「過剰に甘やかされた過保護な環境」であったことが明かされています。

では、親の愛情とは何か?

私の考え方で言えば「子供を信じてあげること」 だと思っています。

過干渉というのは、裏を返せば「信じていない」ということの現れであり、だから放っておけないということになるのだと思います。

犬と一緒ですね。

それが行き過ぎると、単なる監視員となり、“他人事”のように感じてしまうのでしょう。

そうすると脳は勝手に自己モードで形成されていきますので、今回のような”支配欲”が強い人間になっていくのだと思います。

とはいえ、親だけを責めれば済む話でもありません。

今はSNSという情報が、否応なく目にねじ込まれる時代です。

今の親自体が人格形成されていない時代ですから、本当に難しい時代になったと思います。

「親は無くても子は育つ」

昔は限られた情報の中で育っていきますが、今は外界からの情報が多く、そんな言葉では片づけられない時代になったのでしょう。

以上

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